キリスト教瞑想は祈りの中で「思考、想像、感情、望みなどに焦点を当てます」(カトリック教会のカテキズム 2708)。
それは「念祷(mental prayer)」としても知られています。
当記事は、人を「いかに」キリスト教瞑想に導くかに関する詳述です。あなたはこれによって祈りの生活を力強いものに発展させることができます!
キリスト教瞑想は不可欠のものです
どんなキリスト教徒も念祷を実践する必要があります。毎日。
あなたの信仰は、祈り-----「生きておられる真の神とのいのちに満ちた人格的な交わり(personal relationship, 個人的な関係)」(カテキズム 2744 & 2558)------無しには生き続けることができません。
当サイトの記事「いかに祈るか」にあった祈りに関する基本的真実を思い出して下さい。
- 祈りはクリスチャンの生活にとって不可欠のものである。
- それは日常生活の中でできるものである。
- 祈りは最も小さな信仰からさえ成長することができる。
- 祈りの基本は習得するのが易しいものである。
「毎日のカトリックの祈り」や「神の現存」などに示されている良い習慣が、あなたがキリスト教瞑想に力強く進むための助けとなるでしょう。
それらの習慣が、あなたが念祷に進むことを容易にします。実際、それらの習慣が、それを全くの喜びに変えるでしょう!
日々のカトリックの祈りを習慣とすることによって、あなたは既に念祷(神と対話すること)の最も基礎的な部分を実行しています。
そして今、あなたは「彼に耳傾ける」ことをも学ばなければなりません。その方法がキリスト教瞑想です。
普通に言う「瞑想」ではありません
「瞑想」という言葉によって誤解しないで下さい。念祷は東洋の瞑想とは非常に違っています。
- ノンクリスチャンの瞑想は心を空っぽにすることをその目標とする。
- クリスチャンの瞑想は祈りの中でマインド(精神, 思考)に焦点を当てる。
カトリックの瞑想は、天主を知るため、彼の私達に対する愛を理解するため、また彼との深い結ばれに入って行くために、マインドの能力を使おうとします。マインドの使用は、「信仰の確信を深め、回心を促し、キリストに従う意志を強めるために必要です」(カテキズム 2708)。
簡単に言えば、私達のゴールは、人間の基本的な問い------「主よ、私に何をお望みですか?」(カテキズム 2706)------への解答を得ることです。
キリスト教瞑想は私達を聖三位の中に浸さなければなりません。すなわち私達は自分を聖霊(祈りの管理者)に明け渡し、それによって聖霊は私達をキリストと結びつけ、御父に向けられた私達の祈りを完成することができるのです。
あなた方が神の子であるが故に、神は、私達の心に、「アバ! 父よ!」と叫ぶ御子の霊を送って下さったのです。
(ガラテヤ 4:6)
(もしあなたがノンクリスチャンの瞑想とクリスチャンの瞑想の違いについてもっと知りたければ、バチカンの教理省がこの主題について書いたものがあります。かなり内容の濃いものですが! しかし、あなたがこの主題に関心があるなら一読に値します。教理省の Some Aspects of Christian Meditation です。)
あなたに必要なもの
豊かなキリスト教瞑想の日々を始めるために、あなたにはただ二、三のシンプルなものが必要なだけです。
- 少しの時間
- 静かな場所
- 聖書
一人で、静かな場所で、ただ5分か10分の時間をかけることから始めて下さい。一日のうちの早い時間帯を使うことができれば最良ですが、それができなければ他の時間帯を見つけて下さい。
それにかける時間を決め、固く守って下さい。一貫性はとても大事です。ある日「倦怠」を感じても、短縮しないで下さい。同様に、素晴らしいと感じた時も、延ばさないで下さい。
あなたはまた、キリスト教瞑想の基礎として使う幾つかの読み物や視覚資料を用意しなければなりません。福音書が最良の選択です。一つを選び、毎日その一部分を読んで下さい。あるいは毎日のミサの冊子を使ってみて下さい。あなたの聖書を使って毎日一定の章節を読んでいくことができますし、Magnificat のような月刊小冊子を購読することができますし、またオンラインでその種のものを読むこともできます。
- 毎日の読書は短いが故に良い。それによってあなたは深く読むことができる。長くではなく。
あなたはキリスト教瞑想のための基礎資料として多くのものを使うことができます。聖書、特に福音書、霊的な著作、典礼のテキスト、そして自然界それ自体の中に見える「神の指紋」さえ。
読む箇所をあらかじめ決めておいて下さい。そうすれば、聖書の適当な章節を選ぶために祈りの時間を無駄にすることがありません。
くしゃみを停止する方法ウィッカ
もちろん、eブックの Following Christ Through The Gospels は、聖書と共に祈ることを学ぶ上で素晴らしい資料です。有名な Bernard Basset 神父によって書かれたこの古典は、福音書と共に祈る道をステップ・バイ・ステップで進むガイドです。
この本は、人々が聖書に対する深い理解を得るためと同時に、特に人々が祈りの内容を充実させることができるようにと書かれたものです。Catholic Spiritual Treasures program から入手可能です。
あなたに始めてもらうための聖書の章節
私も知っています------始めるために聖書の中から適当な箇所を見つけようとすることは、人々を多少困惑させるものだということを。
ここに示すのは、あなたに始めてもらうための聖書の章節の小さなセットです。私は、わざと、ここには聖句それ自体は含めませんでした。そうした方が、あなたはあなた自身の聖書と共に快適に進むことができるだろうと考えたからです。あなたはこのことを後で私に感謝するでしょう。(いえいえ、どういたしまして、お礼などお構いなく!)
これらの章節には長さの違いがかなりあります。最初のものなどは特に長いです。章節の中から一回につき二、三の聖句を選んで下さい。思い出して下さい、あなたはキリスト教瞑想の中で深く読むことを目指しているので、選ぶ箇所は短いほど良いのです。
- マタイ 5-7章(山上の垂訓------これは、福音書の中でも最も知られるべき基本的な箇所の一つです。)
- マタイ 13章 1-24節(種蒔き人の譬え)
- マタイ 13章 44-50節(譬え話:隠された宝、高価な真珠)
- マタイ 18章 1-6節(幼子のようになること)
- マタイ 18章 21-35節(許されない召使い)
- マタイ 19章 16-30節(金持ちの青年)
- マルコ 1章 14-15節(王国の宣言)
- マルコ 1章 40-45節(癩者の治癒)
- マルコ 5章 24-34節(出血症の女の治癒)
- ルカ 1章 46-55節(マグニフィカト)
- ルカ 15章 1-10節(譬え話:失われた羊、失われたコイン)
- ルカ 15章 11-32節(放蕩息子)
- ルカ 17章 5-10節(信仰:召使いの態度)
- ヨハネ 1章 1-18節
- ヨハネ 2章 1-11(カナの婚姻)
- ヨハネ 3章 14-21節
- ヨハネ 8章 23-32節(「真理はあなたを自由にする」)
- ヨハネ 15章 1-11節(つると枝)
- ヨハネ 15章 12-17節(「互いに愛し合いなさい」)
当然ながら聖書は、キリスト教瞑想のための優れた材料でいっぱいです! 上の提案はただ、始めるために適当であると思われる幾つかの例に過ぎません。
祈りの時間:準備
繰り返します。キリスト教瞑想においては二つのことが非常に重要です。
- 祈る時刻の一貫性
- 祈る時間の一貫性
この一貫性というものは、これが「祈りの闘争(battle of prayer)」と呼ばれるものに関わっているので、とても重要です。あなたは祈りの中に成長するに従って多くのものを克服しなければなりません。疲労、散漫、倦怠、「キリスト教瞑想では何も得られない」と感じること等々。これら全てのことがあなたをそそのかして、祈りの人生をやめさせようとします。
このハードルは本当に高いものです。あなたの霊的生活は、あなたがいかに祈ることに固執するかにかかっています。だから、これを「闘争」と呼ぶのです。
この闘争はあなたが祈るために正に坐ろうとする時より前から始まっているということを理解して下さい。その戦いは、あなたがただキリスト教瞑想のための時間を定め、それを守ろうとする時に、既に始まっているのです。この最初の戦いを戦うために、最大の力を傾けて下さい。決めた時間を守って下さい! そうすることは簡単です。あなたはこれによって、そのようにすることで他の戦いを戦う上でも物事が容易になるということを発見するでしょう。
一旦始める用意ができたとなれば、間を置かず坐り、心を静めて下さい。
自分を神の御前に置き、短い祈りによって彼に助力を願って下さい。あなたは自分の言葉を使うこともできますし、既成の祈り言葉を使うこともできます。私自身は次のものを使っています。
準備の祈り
わが主、わが神、私は、あなたがここにおられ、私を見られ、私に耳傾けておられることを固く信じます。私は、心からの尊敬をもってあなたを礼拝し、罪の赦しと、この祈りの時間を実り豊かなものにして下さる恵みを、あなたに乞い願います。わが汚れなき御母、わが父にして保護者である聖ヨゼフ、わが守護の天使、わがために祈り給え。
(James Socias 編「祈りのハンドブック」より)
〔管理人による試訳〕
祈りの時間の基本的な構成
あなたのキリスト教瞑想のセッションは、通常、次のような基本的なアウトラインに従わなければなりません。
不安のために聖書の読書
- その日の基礎資料(聖書の章節、あるいはあなたが用いているもの)を読んで下さい。二、三度繰り返して、ゆっくりと読んで下さい。そして、沈思して下さい。
- もしある部分があなたの注意を引いたなら、それと共に留まって下さい。
- 読んだ範囲について、あるいはあなたの目を引いた部分について、瞑想して下さい。ここは祈りの時間における中心部分です。ここにほとんどの時間をかけるようにして下さい。次のセクションでそのやり方を詳細に説明します!
- もし心が漂い始めたなら、再び聖句に意識を戻して下さい。
- その瞑想から何らかの特別の(specific, 特定の, 明確な)決意をして下さい。自分が今日、どのようにしてそれらの思いを自分の人生に適用しようとしているのかを自覚して下さい。
- 短い感謝の祈りをもって終わります。
キリスト教瞑想それ自体
キリスト教瞑想それ自体が祈りの時間の中心部分です。
章節に主との対話のための材料を提供させて下さい。彼に問いかけ、彼に物事を話して下さい。そしてとりわけ、聖書の言葉それ自体と、それらの言葉がどのようにあなたの心を導こうとしているのか、その両方について、彼に耳を傾けて下さい。
もしあなたがキリスト教瞑想のこの部分において助けを必要とするなら、次のものを試してみて下さい。
- 神があなたに何か大事なことを伝えようとして、それらの言葉をたった今あなただけのために書いたのだ、と想像してみて下さい。それはどういうことでしょうか? それはあなたの人生にどのような影響を与えるでしょうか?
- 読んだ箇所の場面を想像してみて下さい。あなた自身がその場所にいて、言葉を聞き、情景を見ていると、ありありと思い描いてみて下さい。主に付き従い、主を見、主に聞いてみて下さい。彼はあなたに何を教えていますか?
- その章節はあなたに、神についての何を語っていますか? 彼はどのようですか? 彼は何を重んじていますか? その章節はあなた自身について何と言っていますか?
- 読んだ箇所のメッセージ、あるいはその一部は、あなたに善について語っていますか、それとも悪について語っていますか? あなたが読んでいる福音書のメッセージにあなたがよりふさわしくなるために、あなたはあなたの人生でどんな特定の物事を変えなければなりませんか?
キリスト教瞑想のゴールは、キリストとより深く結ばれることです。
あなたは念祷を、あなたの読んでいる章節に関する単なる考察に引き下げようと望んではなりません。あなたはキリストをよりよく知るように、また、彼をより愛するようにならなければなりません。あなたはあなたに対する彼の果てしのない愛を知らなければなりません。そうしてこそ、あなたは彼にもっと近づくことができるのです。あなたは彼がどのように行動し、愛し、そしてあなたのために命そのものさえ与えているかを見なければなりません。そうしてこそ、あなたは彼にもっと似た者となれるのです。あなたは彼が御父の御旨をどのように探し、行なっているかを見なければなりません。そうしてこそ、あなたもまたそのようでできるのです。
了解?
キリスト教瞑想のゴールは、単に章句についての良い考えを持つということではありません。大事なのは、私達がいかにそれらの良い考えを私達自身の人生に適用するかということです。
神は私達の思いを通して私達とコミュニケートなさいます。私達はそれらの思いを受け取り、何事かを決意し、それに沿った行動をしなければなりません。
「何だって? 神は私達の思いを通して私達に話しかけるって?」
そうです! 正に!
神は私達とコミュニケートするために、私達の祈りの中で最もしばしば私達の思いに影響をお与えになります。それはたいてい穏やかで、心の通常の動きに見えます。しかし時には、それは突然の強烈な悟りであるかも知れません。
あなたはまた、あなたの意識、想像、そしてあなたのハートやフィーリングを通してさえ神の御旨を感じ取ります。キリスト教瞑想ではそれら全てを使うことができます。
もちろん神以外のものも、あなたの思いと感情に影響を及ぼします! それら全てが良いものであるわけではありません。キリスト教瞑想の中であなたが聞いているメッセージが、聖書の真理、教会の教え、通常の「善い生き方」と一致しているかどうかを確かめて下さい。
キリスト教の退屈
- もしあなたが確かでないなら、それを神のご判断に委ねることを躊躇してはなりません。「主よ、私には、それがあなたから来たものか、そうでないのか、よく分かりません。もし、それがあなたから来たものなら、どうか別の機会に、そのことを私にはっきりとお示し下さい。その時まで、私はそれに基づいて行動することを保留します。」
- その問題に関係するどのような教会の教えもチェックして下さい。聖霊は教会を導き、形成します------彼は私達に、教会の真の教えに反するような行動を要求なさることは決してありません!(カテキズム 1783-5、2039)
- 何かについてのあなたの疑いがまだ晴れないなら、あるいはあなたが「神は私の人生に通常ならぬ変化をお求めのようだ」と感じているなら、司祭に助けを求めて下さい。ほとんどの司祭が、あなたが祈りにおいて進歩するように、喜んで助けようとするでしょう。
祈りの中であなたの心が漂う時、章節の言葉に再び意識のフォーカスを戻して下さい。
そして、忘れないで下さい、あなたはあなたのキリスト教瞑想に基づいた何らかの特別の(specific)決意をしなければなりません。自分が今日それらの思いを自分の人生にどのように適用しようとしているかを意識して下さい。
「私は何について考えるべきですか?」
祈りの中で立ち上がる思いは、あなたという人がそうであるのと同じように、ユニークなものである筈です。
しかし、それでもほとんどの人は、キリスト教瞑想の中で彼らの中に立ち上がる思いはほとんど聖書中に見られる大きなテーマに関することばかりだ、と気づきます。
- 更に神を愛せよ
- 自分の意志でなく、御父の御旨を求めよ
- 信仰を増大せよ
- もっとキリストに近しく従え(倣え)
- 罪から引き返せ
- 神の慈悲と愛に頼れ
これらのテーマが多くの人達の祈りの中でそのように共通のものであることは、特に驚くべきことではありません。神は何千年もの間、啓示の中でこれらのことを何度となく繰り返し語って来られました! (何故私達は、いまだこれらのメッセージを受け取り損ねているのでしょうか?)
キリスト教瞑想における祈りにとってキーポイントとなるのは、単に一般的なテーマを見て終わることではなく、それを越えて動こうとすることです。そして、それらのテーマがどのようにあなたに影響を及ぼし、どのようにあなたの人生を変えるようにと求めているかを知ることです。
別の言い方をすれば... 特別の決意をして下さい!
私はあなたにはっきりと言わねばなりません。特別の決意を定め、そして貫くことは、キリスト教瞑想においての、また祈り一般においての、より挑戦的な部分です。それが私達に生き方を変えるようにと求めるから、それは一つの挑戦なのです。しかし、私達のほとんどは、そうすることに抵抗します。
私は、祈りの本を使うことがこのことに非常な助けとなることに気づきました。
私自身は Francis Fernandez著 In Conversation with God という祈りの本のシリーズを使っています。私はそれを毎日使っていますが、これはとても効果的なものです。そこには毎日のための三つの考察があります(そのため、一年を通してのものとなると複数冊になってしまうのです)。それぞれの考察が、私が毎日の聖書読書のメインテーマにフォーカスするのを助けてくれます。(この本がなければ、キリスト教瞑想の間、私の心は容易に外に彷徨い出てしまいがちです。)
しかしそれ以上に、この本のシリーズが持っている最上の価値は、それがそのような決意をしようとしているあなたを導くことを念頭に、また、信仰と徳においていかに成長するかを理解しようとしているあなたを導くことを念頭に、意識的に作られているということです。
各考察はまた、聖書読書から得たものをいかに生きるかに関する小さなレッスンを含んでいます。たとえば次のようなものです。
- 謙遜とは何か。また、どうしたら謙遜の徳に進むことができるのか。
- どのようにしたら日々の生活の中で聖霊の働きに気づくようになれるのか。
- 聖書読書によってどのようにして特定の善き方向性を見出すのか。そして、どのようにしてそれを現在の自分の生活に適用するのか。
今から数年前、私が初めてこの In Conversation with God を使い始めた時、私はそれまでの自分が日々の祈りにおいてどれだけ多くのものを逃していたかを知って驚きました。------私は「特別の決意をする」ということにおいてひどく不足していました。この本は私にとって、私が祈りの人生と祈り一般において成長するための素晴らしい燃料(fuel)となりました。
心から推薦します! 私は、この本が「いかに祈るか」を学ぶために欠かせないものであることを知っています。
祈りの時間の締めくくり
キリスト教瞑想を終える時刻になった時、もう一度あなたの特別の決意を思い出して下さい。(あなたはそれを決めるのを忘れませんでしたね?)
それから、短い感謝の祈りをもって終わります。例えば次のように・・・
終わりの祈り
主よ、この瞑想で私に良い決意と影響とインスピレーションを与えて下さったことを感謝します。それらのものが確かに効果をもたらすことができるよう、ご助力をお願い申し上げます。わが汚れなき御母、わが父にして保護者なる聖ヨゼフ、わが守護の天使、わがために祈り給え。
(James Socias 編「祈りのハンドブック」より)
〔管理人による試訳〕
さあ、その日の残りのために動いて下さい!
でき得る限り、あなたの決意に沿った行動をして下さい。一日を通して、それらの決意を呼び起こして下さい。あなたがそれらを覚えていることができるように、また、それらを実行に移すことができるように、神に助力を願い続けて下さい。
次の日も繰り返して下さい!
キリスト教瞑想は決して難しいものではありません。あなたにはそれができます!
人々は、自分達は瞑想した章節について非常に深い考えを持つようにならなければならないと考えて不安になる傾向があります。
しかし、そうなる必要はありません。
神はあなたに、彼のための偉大な聖人になって欲しいのです------あなたの普通の生活の中で! ですから、キリスト教瞑想の中であなたの心に起こる考えや決意の多くがあなたの普通の生活に関するものであっても、それは自然なことなのです。
もちろん、あなたが「いかに祈るか」を学んでいる時、このキリスト教瞑想についてのダイジェストが与えるものよりもっと多くのものが、あなたに与えられます。
In Conversation with God のシリーズの他に、この主題に関する二つの素晴らしい本があります。
一つは、Amy Welborn の Prove It! Prayer です。これについては、私はこのサイトの別の記事でも書いています(参照)。もしあなたが念祷を初めて行なおうとしているなら、この Welborn の本から始めて下さい。この本の広告が「この本はティーンエイジャー向けのものである」と言っているからといって、やる気をなくさないで下さい。何故ならこの本は、これから祈りを始めようとしているあなたを力強く援助するものだからです。
Thomas Green の Opening to God も素晴らしい本です。これは成人向けの本で、Welborn のものよりも少し深く進みます。Green の本はまた、その後半の章で幾つかの参考になる例をあげています。私は、個人的には、それらの例は非常に価値あるものだと思います。それらは、祈りに関する普遍的な主題について学ぶための素晴らしい模範だと思います。
これら二冊の本は、あなたに、祈りにおける力強い背景を与えるでしょう。また、あなたがキリスト教瞑想についておそらく抱くであろう多くの疑問についても、あなたを大いに助けるでしょう。In Conversation with God のシリーズにはその日のための特定のガイダンスがありますから、以上の二冊よりも一段上のものと言えるでしょう。
すぐに始めて下さい!
今、始めて下さい。
あなたが常に望んでいたその祈りの生活を始めて下さい。それはあなたのものであり得るのです。それはシンプルな習慣と、あなたがこの記事で読んだばかりのキリスト教瞑想のステップを踏むことで始まります。
明日まで延ばさないで下さい。あなたの信仰に必要なものに実際に取りかかって下さい。(このことは私に、祈りのための偉大な聖句を思い出させます。ルカ 12:16-21)
一日の終わりに、私達をお救いになったキリストとの結ばれがあるべきです。私達の仕事はただ、「結ばれてあるように」との彼のお招きに応えることです。
おん父がどれほどわたしたちを愛しておられるかを考えなさい。わたしたちは神の子と呼ばれています。そのとおりです。
(一ヨハネ 3:1)
アーメン!
管理人メモ
0 件のコメント:
コメントを投稿