だから、雪かきは大変です。
そして、雪かきをした後は、
ゆっくりと本を読むのがいいと思います。
そこで、今回は不思議で興味深い本を読みました。
ラスプーチンという名を一度は聞いたことがあると思います。
ラスプーチンは、ロシア皇帝ニコライ2世に信頼された怪僧です。
ラスプーチンには妻と3人の子供がいましたが、
ロシア革命の際、
娘のマリア・ラスプーチン以外は殺害されたそうです。
その後、彼女はフランスに亡命し、
ヨーロッパ、アメリカ、南米などで、
サーカス・パフォーマーとして活躍した後、
カリフォルニアに落ち着き
父親の汚名を返上するために、
伝記などの本を書きました。
ラスプーチンの伝記を読んだ時、
ある犬の事を思い出しました。
ラスプーチンの話も興味深いので、
まずは、ラスプーチンの話から。
グリゴーリ・エフィモーヴィッチ・ラスプーチンは貧農の息子で、
修行僧と自称していましたが、正規の教育は受けていませんでした。
20歳で結婚した後、突然、父親や妻に「巡礼に出る」と言い残して
村を出奔したそうです。
そして、10数年の放浪で、
相手を威圧させる眼力と自信に満ちた説教の力と
病気治療の祈りの力を得たそうです。
村へ帰って、病気治療を施して信者を増やし、
「神の人」と呼ばれるようになり、
彼に心服する信者が増えたそうです。
「救いを得るためには、
罪を犯さなければならない」という考えに基づき、
独自の礼拝や儀式を行っていたそうです。
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一般人には評判は良かったのですが、
正統派の司祭たちの眼には、
インチキで、異端に見えていました。
でも、ラスプーチンは、
あくまで正統派のつもりだったそうです。
ちょうどその頃、
ロシアの皇帝ニコライ2世の子アレクセイが
血友病になり、状態が悪くなっていました。
ロシアやフランスじゅうの名医が集められ、
治療を受けました。
でも、ますます悪化して、体が弱っていき、
命が危ぶまれるようになりました。
その時、側近がラスプーチンの評判を皇帝に話すと、
藁にもすがる思いで、ラスプーチンが呼ばれたそうです。
そして、皇太子の枕もとに坐り、
祈りの言葉を唱えたそうです。
そして、
「眼をあけて笑ってごらん。もう苦しくないよ。」
と言ったそうです。
すると驚いたことに、
今まで息もたえだえだったのですが、
ベッドの上で、起き上がり、笑ったそうです。
そして、
「血をたくさん失ったので、冷たい水を飲ませます。」
と言いました。
「でも、水を飲んではいけないと医者に言われています。」
と皇后が言いました。
「いいから水を。」と重ねて言いました。
皇后は水を取りに、部屋を出て行きました。
その間、ラスプーチンは、
皇太子に元気になれる妖精の話をしたそうです。
やがて皇后が水を持ってくると、
「これが妖精の飲み物です。」と言いました。
皇太子は水を飲んだ後、深い眠りに落ちたそうです。
翌日の朝、皇太子は目に見えて顔色がよくなり、
元気になったそうです。
それを見た医者たちは、奇跡と言ったそうです。
その治療法は催眠療法の一種ではないかと推測されています。
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以後、皇太子の病状が悪化する度に呼び出されました。
祈りを捧げると、不思議にも皇太子の症状が改善したそうです。
こうして皇帝一家から絶大な信頼を勝ち取り、
「我らの友」と呼ばれるようになりました。
その結果、皇帝一家は何事も
彼の予言に頼るようになったそうです。
そのため、ラスプーチンは宮廷人事などを
思い通りにすることが、
出来るようになりました。
ただし、ラスプーチンは、政治に強い関心はなかったそうです。
でも、
皇帝に対して戦争不参加を説いたり、
革命運動激化を考慮して農民層の減税などの
提言をしたこともあったそうです。
ただし、上記のことに関しては、
聞き入れられなかったそうです。
ラスプーチンは決して肉を口にせず、
魚と卵と果実と黒パンを食べていたそうです。
それと、大量のお茶を飲んだそうです。
お酒は飲みましたが、
朝6時のミサは欠かさなかったそうです。
ある時、皇帝一家と礼拝堂でミサの途中に、
ラスプーチンは顔面蒼白になり、倒れかかったそうです。
その時、自分の娘に
「自分の死の苦痛を感じた。
自分は間もなく死ぬだろう。」と言ったそうです。
そして、ニコライ2世に
「私は近日中に殺されます。
私を殺す者が農民であれば、
ロシアは安泰でしょう。
もし、私を殺す者の中に陛下の一族がいれば、
陛下とご家族は悲惨な最期を遂げる事となりましょう。
そしてロシアは長きにわたって
多くの血が流されるでしょう。」と言ったそうです。
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その年の12月のある晩、ラスプーチンは、
信用し可愛がっていたニコライ2世の従弟の
フェリックス・フェリクソヴィッチ・ユスポフ公が
主催する食事会に招待されました。
でも、ユスポフ公や宮廷貴族たちはラスプーチンが、
宮廷人事に口を挟みはじめた事に危機感を抱いていたそうです。
そのため、ラスプーチンを暗殺するために
招待されたのでした。
甘いものが大好物で虫歯だらけであったラスプーチンは、
まず、出された青酸カリ入りのお菓子を残らず食べたそうです。
それでも死なないので、
さらに毒入り葡萄酒が出されました。
そして、それを一気に飲んでも、
変化が無かったそうです。
(その理由として青酸カリがワインや
そのときに食べたケーキの糖分で中和されたことや、
古い青酸カリで酸化していたなどが言われていますが、
その原因は不明です。)
そして、ラスプーチンは、
毒を盛られたことに気がつかなかったので、
何事も無かったかのように、
食後の祈りを捧げていました。
それを見たユスポフ公たちは、
そっとラスプーチンの背後に回り、
彼の頭を燭台で何度も激しく殴打しました。
そして、ユスポフ公たちは、
隣室からピストルを取ってきて
心臓めがけて2発撃ち込みました。
そこで倒れましたが、ふたたび息を吹き返し、
よろめく足で立ちあがったそうです。
そして四つん這いで階段をのぼろうとするところを、
背中めがけてされに2発撃ったそうです。
倒れたのですが、しばらくするとまた、ぴくりと動いたそうです。
恐怖にかられ数人で、夢中で頭や体を、
鈍器などで殴ったり蹴ったりしたそうです。
その後、道路に投げ出したそうです。
それでも、生きていたので、布に巻いて、
凍りついたネヴァ川の氷を割って開けた穴に、
投げ込まれたそうです。
三日後、ラスプーチンの遺体が発見されました。
検視の結果、肺に水が入っていたため、
死因は溺死とされました。
即ち川に投げ込まれた時もまだ息があって、
水を飲んだということです。
その生命力は凄いと思います。
そして、ラスプーチンの予言どおり
ラスプーチンの死後3カ月後に、
ロシア革命によって
ロマノフ朝が崩壊し、
ニコライ2世とその家族は殺害されたそうです。
またそれに続く内戦やボリシェヴィキ政権による
恐怖支配で多くの死者を出すことになりました。
そのラスプーチンの死亡時の話を読んだ時、
ある犬の話を思い出しました。
続く
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