神経症とは何か
「不安や恐怖を、日常生活すら犠牲になるほどの、
人、モノ、行為への依存行動をくり返すこと。」
これが神経症についての私の定義である。
人生には、次々に、さまざまな不安や恐怖がおそいかかる。
いや、「生きる」ということ、そのものが不安である。
「死」というものへの恐怖もある。
人として生きている以上、不安や恐怖から逃れられることは決してない。
だが、不安や恐怖をそのままにしておくのことは苦痛である。
だから、不安や恐怖から逃れようと、右往左往する。
不安や恐怖から逃れるための行為が、生活に支障を来たすような状態となった場合、
それを「神経症」と呼ぶのだ。
人間は、不安や恐怖が生じるたびに、
そ れを逃れるための行動を起こすものだ。
そして、しばしば、その行動は生活に支障を来たすほどになり、
しかも、習慣化してしまう。
このように考えると、神経症とは、何も特別なものではない。
誰もが、一つや二つ、何らかの神経症を抱えているものだ。
神経症という言葉の用いられ方
Web上のフリー百科事典『ウィキペディア』にて、「神経症」を検索してみた。
神経症(しんけいしょう)とは、精神医学用語で、主に統合失調症や躁う
つ病などよりも軽症であり、病因が器質的なものによらない精神疾患のこ
とをさす。軽度のパニック障害や強迫性障害などがこれにあたるであろう。
これらはかつて、不安神経症、強迫神経症と呼ばれていた。
歴史� ��にはフロイトが、精神分析を創始するにあたって当初は神経症の患
者を対象としていたことが有名である。フロイト以降も神経症の精神力動
的な研究が主流であった。
しかし最近はDSM-IV-TRやICD10などの記述的な診断基準(病気の原因によ
ってではなく症状によって診断するもの)が主流となっているため、臨床
的診断として神経症が使用されることは少なくなったが、神経症の概念自
体は今でも非常に重要である。
神経症の病名が使用されることが少なくなった理由として、記述的な診断
基準の台頭に加えて、精神疾患の生物学的メカニズムが明らかにされたこ
とや薬物療法の進歩もあげられる。例えば、かつて強迫神経症と言われて
いたものは超自我や 肛門期固着などで解釈され心理療法が治療の主体であ
ったが、SSRIなどの薬物が有効であることや脳のセロトニン系の異常が明
らかになり、強迫性障害と名を変えた。
なお神経症にあたるドイツ語はNeurose(ノイローゼと読む)であり、日本
でもノイローゼを神経症の意味で使うこともあるが、一般の人が「ノイロ
ーゼ」と言う場合はもっと広い意味に使われるので注意が必要である
(ノイローゼ参照)。
臨床心理士によるサイト『lulu-web』(
神経症について、次のように説明されている。
どんな人でも、一時的に不安になったり、同じことがどうしても気になっ
てしまったり、ちょっとしたことが恐くて仕方なくなったりすることがあ
ると思います。
� �� 神経症というのは、こうした「こころの揺れ」が固定化してしまうことで、
その 苦痛が続き、日常生活に支障をきたしている状態のことを言います。
精神病にかかった人は、自分の論理を通すためにある意味で社会的常識を
捨てます。しかし、神経症にかかった人は、その社会的常識にがんじがら
めになって、それをしないで済む言い訳を探しているような印象を受けます。
しかし、時代の流れからか、古典的な神経症症状を示す人は少なくなって
おり、神経症よりも人格障害と診断されるケースが増えているようです。
また、現在よく使われている診断基準であるDSM-4でも神経症という
分類は用いられなくなっています。神経症概念とDSM-4の分類� ��対応
については[神経症とDSM]の項にまとめました。
同サイトによる、神経症とDSM-4の対応表によると、
神経症 DSM-4
不安神経症 全般性不安障害、パニック障害
恐怖症 広場恐怖、社会恐怖、特定の恐怖症
強迫神経症 強迫性障害
心気症 心気症
ヒステリー 転換性障害、解離性健忘、解離性遁走
離人神経症 離人性障害、解離性同一性障害
抑うつ神経症 大うつ病性障害、気分変調性障害
以上の、ウィキペディアとlulu-webによる説明をまとめてみる。
1.神経症とは、統合失調症や躁うつ病などよりも軽症であり、
病因が器質的なものによらない� ��神疾患。
2.神経症とは、不安や恐怖などの「こころの揺れ」が固定化してしまうこと。
3.日本で用いられている「ノイローゼ」という言葉よりは、狭い概念である。
4.現在では、神経症の病名が使用されることが少なくなった。
神経症とは依存による回避行動である
人は、恐怖や不安に直面した場合、回避行動をとろうとする。
これは、ごくごく、普通のことである。
だが、その恐怖や不安があまりにも大きな場合、
回避行動もまた、極端なものになって行く。
そして、一度経験した、恐怖や不安に関連することがらを見聞するだけで、
回避行動をとるようになる。
いわゆる、これが神経症であると考えて良い。
例えば、子供の頃、道で転んで、
その時、偶� �、犬のフンの上に手をついてしまった。
それ以来、手の汚れに対する不安感が増し、
何度もしつように手を洗うようになった。
手の汚れに対する不安を解消しようとする行為が、しつような洗浄である。
これが、強迫神経症(DSM-4分類では「強迫性障害」)と言われるものだ。
また、子供の頃、いじめられたことが原因で、人間が恐ろしくなり、
学校を卒業しても、家にひきこもりになる者もいる。
これは、人間へ恐怖に対して、「ひきこもり」という回避行動をとっている。
こても神経症の一種であり、「対人恐怖症」などと言われるものである。
「回避行動」とは、必ず何かに「依存」して行われる。
手の汚れへの不安は、「洗浄」という行為に依存することで回避する。
� �間への恐怖は、「ひきこもり」という行為に依存することで回避する。
つまり、神経症は、必ず何らか依存対象を必要としている。
それは、「行為」の場合もあれば、人や物などの場合もある。
子供の頃から地味だと言われ続けた女性が、
成人して、ブランドで身を固めるようになることがある。
これは、他人によって見下されることに対する恐怖を、
「ブランド」という物に依存することで、回避しようとする。
一般的に「依存症」と言われる症状であるが、
神経症とは、必ず何らかの依存症を伴っている。
では、顔面赤面症や、吃音など、受動的症状の表れる神経症の場合はどうか?
受動的症状は、自然に現れるものであり、
「依存」という言葉は当たらないように思える。
だが� ��「依存」とは、意識的に依存するということではない。
潜在意識が症状に「依存」することである。
依存しているという自覚があるか否かは関係ない。
顔面赤面症や、吃音とは、「この緊張に耐えられない」というサインである。
恐怖や不安から回避するために、顔面赤面症や、吃音というサインが出る。
顔面赤面症とはまさに、顔に表れた赤信号だ。
潜在意識が、このサインに依存することで、
不安や恐怖から回避させようとしているわけである。
ノイローゼという言葉について
「ノイローゼ」(Neurose)は、ドイツ語で「神経症」を表す。
だが、日本では単に「悩み」という意味を持つようになった。
神経症は単なる悩みとは異なり、依存行動を伴う。
すなわち、「ノ� ��ローゼ」という外来語は非常に問題がある言葉である。
日本では、「ノイローゼ」という言葉は用いず、「悩み」と言ったほうが良い。
うつ病は神経症の一種
神経症とうつ病を、別個の存在であると理解している人が多いだろう。
だが、私はうつ病は神経症の一種であると捉えている。
私自身の体験でお話した、退却神経症であるが、
これは、学校や会社などのストレス源から、直接的な逃亡を図る症状である。
通勤時、会社とは逆方面の電車に乗って、海に行ってしまった、
などというのは、ありゆれた退却神経症の出かただが、
小学生の子供が「学校に行きたくない」と、
布団にもぐったまま、出て来なくなるのも、退却神経症である。
「おなかが痛い」と言って、学校を 休んだ子供が、
昼頃になると、ケロッとしてテレビを観ている。
ストレスに弱く、ストレスからの逃亡をはかるのが退却神経症だ。
退却神経症の場合はまだ、ストレス源から逃亡しさえすれば、元気が出る。
しかし、症状が深刻化すると、ストレス源から逃亡しても、
不安から逃れることができなくなる。
会社や学校を休んでも、常に情緒的な不安が起こっている。
これが「うつ病」というものだ。
うつ病は、退却神経症の延長線上にあるものだ。
神経症が進行して、うつ病となるのである。
尚、DSM-4の括りでは、うつ病は「大うつ病性障害」とされている。
うつ病とセロトニン不足
一般に、うつ病は、
神経伝達物質であるセロトニンが不足することによ って生じると理解されているが、
そもそも、悩むことによって、セロトニンが減るのである。
日々の会社勤務における悩みにより、
ある日、会社に行くのが嫌になって、家で寝込んでしまう。
それ以降、無断欠勤を繰り返し、会社や家族に言われて病院に行き、
「うつ病」と診断される。
そこで、長期に渡り、会社を休職することになるが、
「会社で噂になっているのではないか?」
「このまま休み続けるとクビになるのではないか?」
「復職したとしても、まともな扱いを受けられないのではないか?」
など、さまざまな不安が頭をよぎり、セロトニンが不足し続ける。
セロトニンが不足すると、感情が抑制できなくなるが、それだけではない。
セロトニンは、食欲、睡眠・覚醒リ ズム、生殖、運動、体温、呼吸、消化、
心臓などにも影響し、通常の日常生活すら、営めなくなる。
これが「うつ病」だ。
尚、セロトニン不足は、すべての神経症者における、共通の特徴であるが、
特に、うつ病の場合は、深刻なセロトニン不足なのだ。
神経症の定義
研究者により、さまざまな反論はあるだろうが、
私は神経症について、
「不安や恐怖を、日常生活すら犠牲になるほどの、
人、モノ、行為への依存行動をくり返すこと。」
と定義したい。
たとえば、さまざまな感染症が蔓延している。
感染を防ぐためには、うがい、手洗いを徹底するしかない。
ゆえに、職場にいる場合、一日、何度も、うがい、手洗いをくり返すことは、
感染予防上、むしろ� �好ましいことである。
たとえば、一時間に一度、うがい、手洗いに行くとしよう。
通常のオフォスのような場所であるならば、
一時間に一度、数分、うがい、手洗いに行くことくらい、問題はないだろう。
ところが、20分、30分に一度となると、支障が出てくる可能性がある。
また、一度のうがい、手洗いに費やす時間も、
2~3分ならば問題無いだろうが、10分とか、20分とか、
場合によっては1時間もそれをやっていれば、明らかに生活に影響が出てくる。
さらには、手を洗い過ぎて、荒れてしまうなど、健康上にも被害が及ぶ
不安や恐怖を、人、モノ、行為に依存することによって、
回避しようとすることは、ごく当たり前のことである。
それ自体は「神経症」とは言えな い。
ところが、通常の日常生活が困難になるほど、
その依存行動が過剰になることが、「神経症」なのである。
神経症とは、決して、降って湧いたような、根拠のない症状ではない。
不安や恐怖という、必ず、何らかの原因がある。
ところが、その不安や恐怖から逃れるために、
日常生活すら犠牲になるような、過剰な回避行動をとることが神経症である。
過食症というものがある。
ストレスから回避するために、しつようにモノを食うわけだ。
これにより、肥満になれば、健康がおびやかされ、日常生活に支障が生じる。
ゆえに、過食症もまた、神経症の一種である。
このように、神経症というのは、現れて来る症状がさまざまである。
その症状については、DSM-4分類であげら� ��ている名称で呼ぶのが、
現在は一般的なのだろう。
だが、DSM-4分類であげられている、さまざま症状を総合的に言うならば、
やはり、「神経症」という言葉が的確であろう。
私は、
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