電機系商社のサラリーマンから
カフェオーナーに。
転機は「うつ病」の発症だった。
田井
今日はよろしくお願いします。
さっそくですが、 小野さんは異業種からカフェのオーナーになられたんですよね。 まずは、 カフェを始められた経緯から教えてください。
小野
はい。 もともとは電機系商社のサラリーマンでした。 独立開業した一番大きな理由というのは、 うつ病になったことです。 病気を患い自宅に引きこもる生活が約2年。 そらから再起するために何をしようかと考え、 突き詰めていったらカフェという業態に巡り会ったんです。
田井
病気のことを少し伺いたいのですが。 うつ病になった原因というのは、 やはりお仕事だったんですか?
小野
それが一番大きな原因だと思います。 iPhoneなどで使われる半導体などを製造するような業界で、 製造装置や工場で使うネットワークの提案をしていました。 例えば半導体チップを動かすだけの機械とか・・・。 超精密な世界で、チップをほんのちょっと動かすだけの機械に大の大人がよってたかって、 ああでもないこうでもないと取り組む姿は、 ある意味滑稽かもしれませんが、 それはそれで誇りをもってやっていたんです。 これがiPhoneなどの形になって、 最終的には巨大ビジネスになっていくわけですし。
それがだんだんと年齢を重ねるごとに、 サラリーマンというのは、 色々なシガラミとか自分では立ち行かない問題が出てきますやん。 それであれこれ悩んでいるうちに、 コンピューターや携帯電話を作る仕事に携わっていたのが、 だんだんそれらに追っかけ回されるような感覚になっていったんです。
田井
それは入社されて何年目くらいですか。 そこそこ勤められてからですか。
小野
それを感じるようになったのは、 7年目くらいからです。 ちょうどその頃に、 自分が攻略したいと思ったターゲットをなんとか攻略できたんですよ。 他社を使っていた企業さんに、 売り込むことができたんです。 それで、 自分が安堵したということもあったんですけど、 そしたら自分がコンピューターや電子機器に追いつめられているような気になってきて…。 『なんかおかしいな』と思うようになり、 気がついたらうつ病になっていたんですよ。
田井
うつ病になって、 会社には行かなくなったんですか。
小野
というか、 ある日突然行けなくなったんです。 それから1年くらいずっと布団の中で過ごしました。 もう、 引きこもり以上ですよ。
田井
へえ~、 1年間もですか。 その時点では、 まだ独身だったんですよね。 ご実家におられたんですか。
小野
はい、 独身でした。 その頃は滋賀県にマンションを購入していて、 一人暮らしをしてたんです。 もうその部屋の中も1日中真っ暗、 自分の人生も将来も真っ暗……そんな中にずっといたんです。
田井
それの状態で1年というのは長いですよね。 一日中寝ているって感じですか
小野
はい、 1年ですね。 毎日寝ているような感じかなあ、 ほんまに布団の中やったんです。 根性なしやったから死ぬ勇気もなかったんで自殺もしなかったんです。でも、 これではアカンなあ、 これは何かにすがらなアカンなあと思い、 『世界三大宗教』という本を買ってきたんです。 それを開きながら『イスラム教か、 キリスト教か、 仏教かどれにしよう??』 って感じやったんです。 ヘンでしょ(苦笑)
田井
いやいや、 どのように克服されていったのかとても興味深いです。
「もっと自然体で行こう!」
そう思えたことでうつ病を克服。
なんか好きなことやろう。
店をしよう。
小野
で、 この宗教の話が展開していくんですけど、 やっぱり「イスラム教」のアラーに向かって祈りを捧げる自分というのもへんやし、 キリスト教も自分にはピンとこない。 やっぱり「仏教」が感覚的に近いんやなって思って、 そんな本を買おうかと思い本屋に行ったんです。 そこで、 本を読むのもしんどいし漫画にしようと思い出会ったのが、 手塚治虫の『ブッダ』やったんです。 それを読んで感動して、 次に『火の鳥』を読んで感動して、 『ブッダ』『火の鳥』『ブッダ』『火の鳥』って感じで何回も何回も繰り返して読んでいたんです。
そんなことをやっているうちに、 そんな「電子デバイスが発展する」ようなことに一生懸命仕事をするん違て、 もっと自然体で行こう! と思うようになって、 自然とうつから抜けれるようになったんですよ。 患った当初は、 同期はどんどん伸びて行くのに自分はずっと止まったまんまやな…みたいな焦りもあったんですけど、 最後はもう好きなことしよう思うようなったんです。
結婚せんでもいいし、 ひとり四畳半で生きていけたらいいかと思うようになって会社も辞めました。 そして、 なんか店をしようと思ったんです。 僕は元々音楽をやっていたので、 音楽と関係性のあるような仕事をしようと思ったのが、 後々のカフェオープンにつながる始めの一歩です。
田井
そう思われたのは何歳ぐらいの時ですか。
小野
34歳の時です。
田井
それでは、 うつ病を克服されてからカフェをオープンするまでのことを教えてください。
小野
最初はね、 カフェなんて思っていなくて、 音楽スタジオをやろうと思っていたんですよ。 やっぱり自分の中でうつが残っているんでしょうね。 明るみにでるのではなく、 インな商売を選んでいるんですよね(苦笑)。
田井
音楽の話がでましたが、 いつぐらいから音楽はされていたんですか。 で、 就職されてサラリーマンになってからも続けておられたんですか。
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